長崎県波佐見町の北西にある村木郷。2023年6月の集計によると、人口903人、世帯数336世帯の、比較的小規模の地域です。その村木郷内にある百貫地区では、「百貫ふれあいクラブ」として週1回、100歳体操を中心した運動型サロンが開催されています。
百貫ふれあいクラブでは、100歳体操の他にボールを使ったストレッチや体操など、多彩なメニューをご自身のペースに合わせて取り組んでいました。
今回は、百貫ふれあいクラブに加え、代表の岩永利和さんについても紹介させていただきます。岩永さんは、63歳のときに脳出血を発症し生死の境を彷徨ったのち、様々な紆余曲折を経て、百貫ふれあいクラブを開設するに至りました。63歳の脳出血発症から大きく人生が変わった岩永さん。障害を抱えることで気分の落ち込みややるせ無さを感じたことも少なくなかったそうです。そのような中、どのようにしてご自身の心身機能回復やサロン開設に至ったのか、熱く語っていただきました。
今回の記事では、以下の構成となっています。
- 波佐見町の特徴
- 岩永さんの半生
- 百貫ふれあいクラブの紹介
波佐見町を知っている方、興味を持たれた方、応援したい方。読み終えたあとにご自身が感じたことを、コメント欄にて書き込んでいただけると幸いです。
波佐見町の特徴
百貫ふれあいクラブがある波佐見町は、観光名所である「ハウステンボス」から車で30分、長崎駅からは電車で2時間の場所にあります。波佐見町と聞くと「波佐見焼」のイメージを持たれるのではないでしょうか。波佐見焼とは、約400年前から続く伝統の陶磁器で、真っ白な白磁に呉須(藍色)で絵付された美しい陶器です。
透かし彫りや網目模様など、絵付けだけではない技術の高さを伺えます。長崎県最大の窯業地でもあり、毎年ゴールデンウィーク期間中は「波佐見陶器まつり」が開催され、毎年30万人前後の来場者を記録しています。下記に、波佐見陶器まつり紹介動画を掲載します。
波佐見町と波佐見焼
波佐見町において「波佐見焼」とはどれくらいの割合を占めているのか、波佐見町内で操業されている産業別を見てみました。長崎県立大学地域創造学部の竹田英司准教授がまとめた『波佐見観光と波佐見焼の市場調査:2021年度長崎県立大学受託研究成果報告書』によると、産業別の付加価値額が高い順から下記の通りです。
- 「波佐見焼」製造業:26億円
- 医療業:18億円
- 「波佐見焼」卸売業:14億円
- 総合工事業:11億円
- 「波佐見焼」小売業:7億円
上記の通り、波佐見町は「波佐見焼」と共に歩んできているといっても過言ではありません。同時に、波佐見町の地域産業を担っているのも「波佐見焼」と言えます。先ほども述べた通り、波佐見町は長崎で最大の窯業地です。波佐見町内に約150の生産事業所があり、やきもの工房・上絵付け工房・石膏製造工房など、陶磁器を制作する工程ごとに分業されています。
波佐見町は観光のまち【体験型観光】
波佐見町は観光のまちなんだとつくづく思います。波佐見焼に加え、日本の棚田百選に選ばれた「鬼木棚田」。多くの窯元が集まる「中尾山」。その中尾山で開催される「桜陶祭」と「秋陶めぐり」。波佐見町は陶磁器の製造・販売だけではなく、自然と波佐見焼が融合した「体験型の観光地」として確立されています。
実際に波佐見町へ訪れる観光客は1997年から右肩上がりに増加し、2019年に103万人に達しました。しかし、2019年から蔓延し始めた新型コロナウイルスによって激減したものの、2022年には3年ぶりに「波佐見陶器まつり」が開催されたこともあり、徐々に観光客が戻りつつあります。また2023年5月より、新型コロナウイルスの位置付けが5類に変更されたことから、波佐見町の特徴を活かした「体験型観光」が復活またはリニューアルした形で提供され、観光客がさらに増加することも考えられます。
岩永利和さんが歩んできた半生【人を想う心が原動力】
ここからは百貫ふれあいクラブを創設した、岩永利和さんの半生(エピソード)をご紹介します。ここで紹介するエピソードは下記3項目から構成されています。
- 中学卒業〜63歳【波佐見町の陶磁器産業を守ったエピソード】
- 63歳〜67歳【リハビリに取り組む原動力は妻への想い】
- 67歳〜現在【100歳体操から派生した地域の絆】
中学卒業〜63歳【波佐見の陶磁器産業を守ったエピソード】
岩永さんは中学卒業後、アルバイトで生計を立てながら定時制高校に通っていました。20歳までトラック運転手や自動車修理工などをしていましたが、 その後人伝えに紹介してもらった「波佐見陶磁器工業協同組合(以下、組合)」へ就職。63歳まで勤めました。組合では労務対策や経理部門で勤務し、組合員の福利厚生に限らず、波佐見焼に従事している事業所の経営再生にも尽力されました。
岩永さんが勤めていた時代は、昭和53年に波佐見焼が国の伝統工芸品に指定され、大規模生産へ変遷していきました。それに伴い価格競争も激しくなったことから、小規模の事業所は経営破綻に陥るようなこともあったそうです。岩永さんはそのような事業所に対して、決算書を見ながら経営計画を見直し、取引先との交渉も行いながら会社再生を果たし、波佐見焼の陶磁器産業を守っていました。
しかし、仕事に明け暮れていた岩永さんは当時を振り返り、こんなことを語っていました。
まさに仕事人間。人付き合いも多くて、飲み会も多かったです。仕事にのめり込んでいたんでしょうね。
波佐見町百貫地区で育った岩永さんだからこそ、波佐見焼の伝統の継承は身に染みて理解しているところ。その伝統を守るためにも、波佐見焼に従事している事業所の存在は必要不可欠なんだと考えていました。「波佐見焼を守ることは事業所を守ることと同じ」との言葉通り、日夜、仕事に明け暮れていたのだと思います。
63歳〜67歳【リハビリに取り組む原動力は妻への想い】
猛烈な仕事人間だった岩永さん。63歳の11月、悲劇が襲います。組合で仕事をしている際、耐え難い頭痛が出現し救急搬送。脳出血の診断を受け、懸命な治療の甲斐あって一命を取り留めました。しかし重度の右片麻痺が残り、急性期病院ではほとんど寝たきりの状態でした。岩永さんは急性期での記憶をほとんど覚えていないとおっしゃっています。
同年1月にリハビリ専門(回復期)病院へ転院。重度の右片麻痺であるため、長下肢装具を装着し、理学療法士が思いっきり支えることでなんとか歩行が可能でした。言語障害も出現し、理学療法のほか、高次脳機能障害へのリハビリにも取り組みました。入院中、毎日のように職場や関係者の方々がお見舞いの訪れていましたが、岩永さんはこのような心境だったとのことです。
正直、哀れな姿を見せたくなかったですね。あんなに人との関わりは好きだったのに、入院中はできないことが多くて…。できない自分に落ち込んでいました。
岩永さんの奥さんも毎日病室を訪れていました。時には見守り、時には励まし。岩永さんの回復を心から願い、リハビリの様子も見ていました。そのような献身的な奥さんの様子に、岩永さん自身も「退院後に迷惑をかけられない」と思い、辛いリハビリをこなす毎日を過ごしていました。
回復期病院を退院後の生活
回復期での懸命なリハビリを経て、自宅に戻ってきました。脳出血を発症して半年ぶりの自宅です。入院中に介護保険を申請し要介護2の認定を受けており、さっそく訪問リハビリと通所リハビリを利用開始しました。岩永さんのすごいところが、介護保険サービス以外の時間もリハビリに取り組んでいたことです。本を見てゴムチューブや足上げなど、日常生活で不自由に感じた動作を、徹底的に自主トレーニングしました。
その甲斐あって、要介護度は「要介護2→要介護1→要支援2」とみるみる低下していきました。ご自身の高次脳機能障害を自覚し、介護保険サービスと併用して障害福祉サービスの通所事業所にて、小学生のドリルをもとに計算や書字に取り組みました。この頃は脳出血を発症して5年が経過。自宅内の動作はある程度自立してきました。そこで次の目標は、外出することにシフトチェンジしていったのです。しかし、そこでも新たな壁が立ち塞がりました。
外出への高いハードルを超えて
自宅内の動作がある程度自立してきたことから、次なる目標は「外出」に設定しました。まずは近くのショッピングモールへ行き、階段練習をした際、岩永さんは愕然としたそうです。
階段がまったく降りれなかったのです。ショックでした。
自宅内では概ね自立していたことが成功体験となり、岩永さんの自信にもつながっていたのですが、階段のエピソードは正直ショックを受けたそうです。しかしそこで塞ぎ込まないのが岩永さんです。それからというもの、週2〜3日の頻度でショッピングモールや公園などに奥さんと出向き、400〜500段の階段を上り下りしました。毎回1時間程度です。この訓練を続けた結果、脳出血発症し10年越しで、階段昇降が自立することとなりました。
奥さんと二人三脚で取り組まれたリハビリテーション。奥さんから下記のような言葉を訊かせていただきました。
夫は負けず嫌いです。自分に負けるのが嫌だったのでしょう。「こんなこところで負けてたまるか!」みたいなね。だからとことんやってみた。夫の良いところは「次々に目標を立てて、達成に向けてひたむきに頑張るところ」。そんな姿を見ていたら、私も一緒に階段を上り下りしていましたよ。
奥さんより
岩永さんがここまで頑張ってこられた原動力は、奥さんの存在が大きかったでしょう。岩永さんからも「これ以上、妻に迷惑をかけたくないしかけられない」とおっしゃっていたように、奥さんへの熱い想いがあるのだろうと捉えました。取材中、岩永さんが奥さんへはにかみながらお礼を言うシーンは、微笑ましい夫婦像であると同時に、リハビリという戦いに臨んだ戦友のような印象を受けました。
67歳〜現在【100歳体操から派生した地域の絆】
脳出血を発症して5年が過ぎようとしていたころ、岩永さんは地域で気軽に運動できる場所がないことに問題意識を持っていました。波佐見町は年々高齢化率が上昇しており、そのことに気づいていた岩永さんは「自分のようにならないためにも、住民同士で健康に気をつけていかなければならない」と考え、まずは近くの公民館で体操を始めました。
まずは波佐見町地域包括支援センターと数回意見交換を交わしました。その後、長崎大学より3回程度のアドバイスを受けたのち、スクエアステップから開始しました。2016年より波佐見町ふれあい・いきいきサロン事業の助成を受け、「百貫ふれあいクラブ」を開設しました。百貫ふれあいクラブを通して、健康増進はもちろんのこと、地域住民同士の絆が深まったと岩永さんは語ります。
とにかくこのままだと、不健康な高齢者が増えると思いました。百貫ふれあいクラブを始めてから、近所の人に会うとおじぎから手を振るようになったんです。それから自然と田んぼや畑なんかで人手が足りないときに手伝ってくれたりね。物物交換もよくします。地域の絆は深まったと思います。
最近では、ジャガイモ、さつま芋等を植えて収穫をみんなで楽しむ姿もあります。百貫ふれあいクラブでは、高齢者の健康を維持・向上するだけではなく、その場を通して会話が生まれ、地域の情報がリアルタイムに交換される機会でもあります。そのような機会の中で住民同士の人となりがわかり、理解し合えるからこそ絆が深まるのだと思いました。
そのような地域住民同士の自助・互助を高める、百貫ふれあいクラブ。次の章では、百貫ふれあいクラブの紹介に移ります。
百貫ふれあいクラブ【一番最初に100歳体操を取り入れたサロン】
百貫ふれいあクラブは、波佐見町で最初に「いきいき百歳体操」を取り入れたサロンになります。令和5年5月では、百歳体操を取り入れたサロン(いきいき運動型)は20ヶ所。百貫ふれあいクラブはモデルサロンと言っても過言ではありません。そのような百貫ふれあいクラブでは、どのような項目に取り組んでいるのか、以下にまとめてみました。
- サロン名:百貫ふれあいクラブ
- 形態:波佐見町ふれあい・いきいきサロン事業(いきいき運動型サロン)
- 場所:百貫ふれあい館
- 日時:毎週水曜日 13:30〜14:30
- 内容:いきいき百歳体操、スクエアステップ、ボールを使ったエクササイズ、リバイバルダンス、口の運動など
- 料金:1回100円
- その他:専門職による講話や忘年会なども開催する
百歳体操とは
百貫ふれあいクラブで取り組んでいる「いきいき百歳体操」ですが、いったいどのようなものでしょうか?百歳体操の生まれ故郷は、高知県高知市になります。高知市も高齢化率が年々右肩上がりになっている状況から、平成14年に介護予防検討会を経て考案されました。下記に高知市が配信しているyoutubeを掲載しています。
百歳体操は、①準備運動、②筋力運動、③整理体操の3つの項目から構成されています。主に筋力向上を目的に実施します。特徴的なのが、1本2.2kgの重りを手首や足首に装着し、負荷をかけながら運動するところです。日常生活で必要な「立つ」「歩く」「物を持つ」といった動作に効果的と言われています。実際に高知市では、1年間百歳体操をした9割の方々が、介護度を維持していたという結果も出ています。
百貫ふれあいクラブでの取り組み
百貫ふれあいクラブでは、前方のDVDを見ながら、個人の状態に応じた重りを選び百歳体操に臨んでいます。運営者の岩永さんは片麻痺の影響があるものの、できる範囲で取り組んでいたのが印象的でした。各々の能力に応じた運動こそが、長く続けていける秘訣なのかもしれません。
上記の動画では、新型コロナウイルス感染症の影響から、全員マスク着用し極力声を出さないように配慮していました。コロナ禍前は「イチ、ニ、サン、シ」と声を出しており賑やかな雰囲気だったとのことです。早く以前のような活気あるサロンへ戻れることを願っています。
百貫ふれあいクラブでの運動メニュー
百貫ふれあいクラブでは、1時間のうちに百歳体操とボールによるエクササイズを取り入れています。メニュー構成は下記の通りです。
- 百歳体操による準備運動
- ボールによるエクササイズ
- 百歳体操による筋力運動と整理体操
上記のように準備運動もしっかり行います。僕も少し参加させていただきましたが、汗がじんわり出るほど、なかなか負荷を感じる運動でした。このようなメニューを毎週続けることで、筋力アップが図れることを実感しました。
参加者の皆さんへ訊いてみました
取材中、参加者の方々へ百貫ふれあいクラブの印象を訊いてみました。皆さんが百歳体操の効果を実感しているとのことです。
岩永さんに誘われて参加するようになりました。参加して1年ぐらいですが、突っ張っていた足が解消したように思えます。最初重りは2本でしたが、今は3本に増やしています。
70代女性
ここは自分のペースでできるところが良いです。岩永さんが一生懸命取り組んでいる姿を見ていると、こっちもやる気をもらえる。毎回、水曜日が待ち遠しいんですよ。
70代男性
参加し始めてから、近所付き合いが深まったような感じがします。なんか、内面を知ることで「こんな人なんだ」ていう安心感が生まれるみたいなね。だから田んぼとかお互いに手伝いますよ。
70代女性
百貫ふれあいクラブを通して、健康増進だけではなく住民同士の絆が深まっていることが、参加者の皆さんのコメントからわかります。高齢者サロンが住民の居場所になることで、その場で情報交換や課題の「気づき」にもアンテナが張れるのだと思いました。
岩永さんの想い
岩永さんより、改めて「百貫ふれあいクラブ」について質問しました。
最初は自分の機能回復も含めて開設しました。でも、同年代がどんどん高齢者になっていくことで、老いていく地域は寂しいと思うんです。だから、地域のためにもこのような運動する機会があって、みんなで話して、お互いを知って、助け合うことって必要だと思うんですよ。
上記の言葉を訊いたとき、僕は胸を打たれました。百貫ふれあいクラブは、まぎれもなく地域住民の居場所になっている。しかしそれは、「運動をして解散」というつながりではなく、百貫ふれあいクラブを通じて、住民同士の互助が形成されているのだと感じました。何より、岩永さんが脳出血後遺症の当事者として「このままの地域ではいけない」と警鐘を鳴らしたことで、住民だけではなく行政も関係団体も引きつけたのではないでしょうか。
今回の取材を通して、岩永さんの活動性の高さに感服いたしました。同時に「人とのつながり」の大切さも学びました。脳出血を発症した直後はほぼ全介助だった岩永さんが、「妻へ迷惑をかけないためにも自立したい」との願いから、1段1段目標をクリアしていった原動力は、間違いなく奥さんの存在が大きかった。病気になって、色々なことを話し合ったと思います。そして悔しい思いや落ち込むこともあったでしょう。それらを共に共有したからこそ、現在の岩永さんがいるのだと思います。そして、地域住民とのつながりも岩永さんの活動の源になっています。よって、地域活動というのは、1人でできるものではなく、色々な人と関わることで形になっていくものだと、改めて問い直しました。
波佐見町には、①ふれあい型、②いきいき運動型、の2つの形態のサロンが42箇所あります(令和5年5月)。百貫ふれあいクラブのような筋力体操をメインにしているところもあれば、茶話会やゲームなどゆったりと過ごせるサロンもあります。気になる方、参加を考えている方、波佐見町のサロンをもっと知りたい方は、「The Salon Times」のお問い合わせにご連絡いただければ幸いです。
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